2016年03月17日
過程があって初めて

ある先生が、勤務時間中に自分の趣味の落語の話をネット上に公開している、教師として如何なものかと匿名の抗議があった。
調査をすると、事実であった。
ただし、文章を書いたのは勤務時間中ではなく、いち早く公開したくて、休憩時間にネット上にアップしただけであると答えた。
当然、学校としては遺憾であるとしなくてはいけないが、恐ろしさも感じた。
それは、保護者であろうその人が教師のネット上の動きを監視しているという恐ろしさである。
私学の教師であった私は、生徒募集活動のため、夏休みを使って、公立学校を回ることがあった。夏休みでも公立学校は、生徒がいなくても「営業」している。
公立学校の先生曰く、校門近くで見張られているんですよ。ちゃんと勤務しているか、早くに帰宅していないか、学校で遊んでいないかと。
本当かどうかはわからないが、真面目な顔をしていう先生の表情からは呆れたという表情が見えていた。
……これらは、ちょっと、昔の話である。
つい最近も、国会議員やどこかの校長が不適切な発言をしたと各方面から糾弾されていた。
戦争をしろとか、いじめを助長するというのでは困った話だが、よく意見を聞いてみれば、さほど悪いことを言っているようには見えない迪士尼美語 有沒有效。
議員の奴隷発言でも、校長の女性の仕事発言でも、それは彼らが意図して誹謗中傷をしようというものではないし、まさに受け手の曲解、あるいは意図的な誹謗そのものであると私は感じるのである。
人と人との会話は、心を忖度して進められる。
そこに含まれる思いを推し量って、相手の言うことを理解していこうとする過程があって初めてお互いの言葉の交流が成立すると私は思っている。
今、日本の一部に、意見を意見として認めず、言葉の一つをとって、その人を窮地に陥れようとする風潮があるようだ。
そして、そういう風潮の中で、謝り方を教示し、危機管理と称して、何かことが起きた時にそれをすり抜ける技術を売り物にする会社まである。
これはおかしなことである同珍王賜豪。
人と人とが交流していく時に起こる様々な軋轢を、なぜ自分たちの言葉のあり方で解消しようとしないのかと思う。
日本が日本として、美しく、正しくあるためには、相手を前向きに、良い方に見ていくことが必要である。そうでないと、揚げ足取りの、攻撃ばかりのつまらぬ国民の集まりになってしまう。
人というのはさほど悪いものではない抗衰老方法。
2016年03月17日
りに近づくのを感じる

学生の時だった。
門戸を広げたばかりの、純朴一途な中国に行った。
その記念に、最初の訪問地広州で「二胡」を買った。その二胡はその後弾かれることもなく、今では、弦も消え失せ、我が家の床の間の端に置かれたままになっている。
稀に、手にして、『これなるは無弦の琴ならぬ、無弦の二胡なり』とうそぶいている。
五柳先生。
魏晋南北朝の時代、名は潜、字は淵明。田園詩人として名を残す。
下級士族の出で、経済的な事由から官吏となるも、職務に倦んで辞す。
その折にうたいあげたのが、高等学校の古典で学習する『帰去来兮辞』である。
帰へりなんいざ
田園将にあれなんとす なんぞ帰らざる
さあ、帰ろう。今まで生活のために心を偽ってきたが、これからは己の未来のために生きよう……。世間との交際はやめよう。自分と世間は相容れないのだ……。
学生であった頃、そのような詩句に対して、世の中とはそんなものかな、もっとしゃかりきになって生きてもいいのではないかなと思った覚えがある。
とことん戦い、世の中を良くすることこそ、この世に生を受けたものがすることであると。
年を経て、教える立場になると、様相が少し変わった。
世の中の仕組みの中で、自分を主張し、意見を具現化することの困難さと、己の信義と異にするものでも受け入れなくてはいけないことを知り、五竜先生の詩句が自分の心と一致した。
そして今、またこの詩句が少しく心に響く。
万物の時を得たるを羨み
我が生のいく行く休するを感ず
やんぬるかな
形を宇内に遇することまた幾時ぞ
自然のものすべてが時を得て栄える中、私はやがて終わりに近づくのを感じる。
致し方のないことよ。人間はいつまでもこの世に生きていられるわけではないのだ。
そして、詩句は続く。
どうして心を成り行きに任せないのだ。あたふたとして、どこへ行こうというのだ。
天命を甘受して楽しむのであれば何のためらいがあろうかと胡菁霖。
弦のない琴で音楽を楽しみ、釣り針のない竿で魚を釣る境地こそ悟った人のあり方だ。
うそぶくばかりでなく、その心境に達したいと願う。
しかし、私にはまだ、少々毒があるようだ。