2014年01月08日

あれっ、振り出しに戻ってしまった

「元の木阿弥(もくあみ)」という言葉がある。
意味としては、
「努力の甲斐あってか、一旦状態の良くなったものが、
元の悪い状態に戻ってしまうことを表す。」
何だか、世の中、大きく変わったように見えて、
しばらくすると、元に戻ってしまっていることが多い。
原発の再稼働も、本当の議論をしないまま、
なしくずしに進んでいきそうな傾向だ。
この「元の木阿弥」の語源は、
奈良に住んでいた木阿弥という貧乏な僧侶の話に至るようだ。
この僧侶、貧乏この上なしという生活だったようだが、
戦国の世であった1551年に、
大和の武将・筒井順昭が28歳で不治の病で亡くなったところから
急に、運命が動き始める母乳餵哺
筒井順昭に息子の順慶はいたが、家督を譲にはまだ幼い。
死去を知らせると、これに乗じて敵対する松永家が攻めてくる恐れがある。
そこで臣下が一計を案じ、
奈良の木阿弥という僧を「替え玉」に仕立てた。
その僧侶、順昭と声や姿が非常に良く似ていたという。
努力をしたワケでもなく、たまたま似ているのが幸いして、
この僧侶、贅沢な「替え玉」生活を送ることになる。
ところが、そんな生活が何年も続く訳ではなく、その後、
筒井家は体勢を固め、順昭の死を公表し、息子の順慶を正式に当主とした網購淘寶
そうなると、木阿弥は、その瞬間、贅沢三昧の生活から、
その任を解かれ「元の木阿弥」に戻った、という話。
「悪名は、無名に勝る」の如く、
木阿弥の名だけは、轟(とどろ)いたということらしい。
そう言えば、世の中を見渡してみると、
「元の木阿弥」になりつつあるものが、溢れかえっている。

  


Posted by aerbs at 16:05 | Comments(1) | ぬひねふ